1937年オイルショックとは?
➀背景:石油への依存と国際政治の影響
第二次世界大戦後、アメリカを含む先進国では自動車産業や重工業の発展に伴い、石油の需要が急増しました。アメリカ国内の石油生産では需要を賄いきれず、中東からの輸入に大きく依存するようになりました。1960年代にはアメリカの石油消費量が急増し、国内の石油埋蔵量の減少が懸念されるようになりました。
また、冷戦下において中東地域は、アメリカとソビエト連邦の代理戦争の場となっていました。アメリカはイスラエルと支援し、一方でアラブ諸国はソビエト連邦と関係を深めていました。この地政学的な緊張が、石油供給の安定性を脅かす要因となっていました。
➁ヨム・キプール戦争とOPECの対応
1973年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルに対して奇襲攻撃を仕掛け、第四次中東戦争(ヨム・ギプール戦争)が勃発しました。この戦争はアラブ諸国にとってイスラエルへの報復の機会であり、イスラエルを支援するアメリカとの対立を一層深めるきっかけとなりました。
アメリカをはじめとする西側諸国はイスラエルへの軍事支援を強化しました。これに対し、OAPEC(アラブ原油輸出国機構)は報復措置として、アメリカやイスラエル支援国への石油輸出を制限しました。さらに、OPEC(石油輸出機構)は原油価格の引き上げを決定し、原油価格はわずか数か月で約4倍に急騰しました。
とくにアメリカではそれまで比較的安価な石油に依存していたため、突然の価格高騰によりエネルギーコストが急増しました。これが1970年代の経済不況を引き起こす要因となったのです。
アメリカ市場への影響
➀インフレの急加速
・原油価格の急騰により、ガソリン価格が大幅に上昇。
・企業の生産コストが増加し、生活必需品の価格も高騰。
・「スタグフレーション」(経済成長の停滞+インフレ)の発生。
アメリカでは消費者物価指数(CPI)が急上昇し、日用品や食料品の価格が短期間で大幅に値上がりしました。特にエネルギーを大量に消費する産業(製造業、運輸業など)はコストの増加に直面し、経営の悪化が相次ぎました。
➁株式市場の暴落
・企業の収益悪化により、投資家が売りに走り株価が急落。
・ダウ平均株価は1973年から1974年にかけて焼く45%下落。
1973年のオイルショックを受け、アメリカの株式市場は急落しました。投資家は景気の先行きに対する不安から株を手放し、死蔵の不安定性が増しました。特にエネルギーコストが大幅に上昇したことで、企業の利益率が低下し、成長産業とされていた分野でも収益の減少が目立ちました。
アメリカ政府の対応とその効果
➀価格統制とエネルギー政策
・ガソリン価格の上限設定により、一時的に価格抑制を試みるも、供給不足を招き逆効果に。
・省エネルギー策として、速度制限やサマータイム導入を検討。
・石油備蓄の強化や国内エネルギー生産の拡大を進めるも、短期間での効果は限定的。
政府は価格統制政策を導入しましたが、これがかえって供給不足を引き起こし、ガソリンスタンドでは長蛇の列ができる事態となりました。また、エネルギー消費の抑制策として速度制限やサマータイムの導入が議論されましたが、国民の反発もあり実効性には限界がありました。
➁金融政策の影響
・FRB(連邦縦鼻制度理事会)はインフレ抑制のため、金利を効き上げ。
・しかし、高金利政策により景気がさらに冷え込み、景気回復が遅れる結果に。
インフレ抑制のためにFRBは金利を引き上げましたが、これが企業や個人個借金コストを増加させ、経済成長をさらに抑止する結果となりました。高金利政策により住宅市場も冷え込み、不況が長期化する要因の一つとなりました。
まとめ
1973年のオイルショックは、アメリカの経済に大きな混乱をもたらしました。原油価格の急騰がインフレと景気低迷を同時に引き起こし、株式市場の暴落や失業率の上昇を招きました。政府も対応策を講じましたが、景気回復には時間を要しました。
以上、1973年のオイルショックによるアメリカ市場の暴落の解説でした。参考になったら幸いです。